序章
ーーその指輪が、運命を変える。
オチバの国は、世界樹の葉落ちる場所。名誉の名として、そう呼ばれていた。
祝福の地。
豊穣の国。
絢爛豪華な都市部では、たわわな庭園が空に浮かび、
果実は魔法の光に触れるだけで実るという。
だがナパの暮らす村に、その光は届かない。
土はひび割れて、花は萎れる。
国にとって、小さな田舎村は存在しないに等しい。
人々は魔法を使う。
世界中みな、都市部も田舎も、同じ手順で、同じように。
当然この村も、正規の金額で毎年の利用権を買っている。
魔法利用権の費用は、小さな地方村にとっては軽くない。
だからこそ、ちゃんと効くようにしなければいけないのに、、、
それでも、畑は応えなくなっている。
魔法により芽は出ても、半分はすぐにしおれる。
年ごとに収穫は減り続けてる。
村人の中で、ナパは特に、魔法が下手だ。
同じように手をかざしても、何も起きない。
ようやく発動しても、光は弱く、すぐに消える。
「役立たず」
そう言われることにも、慣れていた。
けれどナパは、どこかで納得していた。
魔法を使うたび、胸の奥に小さな違和感が残る。
花も、木も、鳥も。
みんな、魔法から少し距離を置いている気がしたからだ。
ある日、村の畑のひとつが、完全に枯れた。
葉は一枚も残らず、土は灰のように白くなり、
そこにはもう、何も育たないと誰の目にも分かった。
ぬけがらのような大地。
家族は長老を呼んだ。
長い沈黙のあと、長老は言った。
「……あれを試そう。」
それは、古代魔法。
ナパの曽祖父がかつて使っていたと伝わる、
いまでは誰も扱えない、古い術。
持ち出されたのは、ひとつの指輪だった。
くすんだ金属に、小さな青い石がはめ込まれている。
精霊石――そう呼ばれていた。
長老がそれを畑にかざす。
、、、しかし何も起きない。
家族が試す。
何も起きない。
何度繰り返しても、結果は同じだった。
沈黙が、場を満たす。
ただ、興味本位だった。
曽祖父が大切にしたその指輪に、触れてみたいと思った。
触れた瞬間だった。
石が、はっきりと光った。
かすかな風が巻き起こり、
乾いた空気が、一瞬だけ揺れる。
そして――
ナパの周囲の、ほんの小さな範囲。
乾いた土に、わずかな湿り気が戻る。
うっすらと、緑がにじんだ。
ほんのわずか。
だが、それは誰の目にも分かる変化だった。
「……昔、見たことがある」
長老が、低くつぶやいた。
「同じ石を持った旅人がいた」
幼いころの記憶だという。
その者が触れた土地だけ、作物が育った。
人々は奇跡と呼んだ。
だがやがて、より便利な一般魔法が広まり、
誰もその話をしなくなった。
「その旅人は――」
長老はナパを見た。
「おまえの曽祖父だ」
長老はさらに続けた。
曽祖父は、クスノキの国の出身だったという。
そこでは今も、古代魔法の叡智が残されている。
「この村、じき枯れる。かつての緑を取り戻す方法があるとすれば……」
このままでは、近い将来、家族が食べていけなくなる。
他に方法はない。
本当は、こんな瞬間を待っていたのかもしれない。
心の中にずっと居座り続けた違和感。
その違和感が今、ようやく正しい向きに戻ろうとしているかのような、
そんな胸の高鳴りと、少しの不安。
長老は、ナパと二人で長いこと話をして、
クスノキの国についてのありったけの知識を話した。
ナパは夜の港へ向かった。
灯りの少ない波止場。
停泊している大型の貨物船に、ひとりで忍び込む。
暗い船倉で息を潜め、
揺れに身を任せながら、数日を過ごした。
やがて船は岸に着く。
ナパは、クスノキの国へと辿り着いた。
最初に感じたのは、空気の違いだった。
やわらかい。
そして、静かに満ちている。
生き物すべてが、自然に呼吸しているような感覚。
畑には、見たことのない緑が広がっていた。
無理に育てられたのではない、ただそこに在る緑。
それは明らかに、一般魔法とは違う力だった。
遠くには、巨大な世界樹がそびえている。
その根元に、王都があるはずだ。
関所の手前で、ナパは立ち止まった。
どうやって中に入るか、考えがまとまらない。
そのときだった。
「……」
ひとりの背の高い男が、ナパを見つけた。
白い衣。静かな目。
ほしふりの導士と呼ばれる、クスノキの国の神職。
「長老から話を聞いてはいたが、まさかこんなに早く見つかってしまうなんて、、、」
強い焦りの感情が、ナパの心臓をはげしく揺らす。
導士はナパを咎めることなく、
ただ、その手元を見た。
少し震えるその手では、指輪の精霊石が、静かに強く、光っている。
昼間でもわかるくらいの、小さな光。
村人の中で、ナパが触れている時だけに現れる、青の燐光。
その男は短く言う。
「来い」
連れていかれたのは、王都の地下だった。
ほしふりの鍛冶工房。
精霊石を用いた装備が鍛えられる場所。
選ばれた者だけが足を踏み入れることを許される神聖な場所。
「適性」を試される場所。
ナパは、すべてを話した。
故郷のこと。
枯れた畑のこと。
指輪の反応。
曽祖父のこと。
鍛冶士と導士たちは、短く言葉を交わした。
やがて、ひとつの結論だけが告げられる。
「適性はある」
間を置いて、続ける。
「だが、扱うためには、知識がいる。」
ナパは、見習いとして受け入れられた。
導士のもとで働くこと。
工房の手伝いをすること。
石に触れ、この場所に慣れること。
神職たちに、ここに残ることを許された。
それだけで十分だった。
ナパは、初めて自分のいる場所を見つけた気がした。
こうして――
ナパの、ほしふりの導士見習いとしての道が、静かに始まった。

